『ローマの休日』のロケ地を巡る旅、サンタンジェロ城でスリに遭遇

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ローマ旅行記7~初日編3~サンタンジェロ城でスリに遭遇~】

サンタンジェロ城
システィーナ礼拝堂の観光ツアーを終えた私は、
自由行動で、ローマ市内の観光に、出かけて行きました。
(サン・ピエトロ大聖堂には明日と明後日にも訪れることになりますが、)

ここから、私の大好きな映画である、
『ローマの休日』のロケ地を巡る旅が、いよいよ始まりました。

まずは、サンタンジェロ城へと向かいましたが、
サンタンジェロ城は、『ローマの休日』の終盤、
オードリー・ヘップバーン演じるアン王女と、
グレゴリー・ペック演じる、ジョー・ブラッドリー記者が、
サンタンジェロ城の下に流れる、テヴェレ河沿いに作られた、
ダンス・パーティーの会場へと向かっている場面で、登場します。

『ローマの休日』は、
ローマの観光名所が、物語の進行と共に、
とてもバランス良く登場してくるので、
観光映画としても、とても出来が良い映画となっています。

サンタンジェロ橋とサンタンジェロ城
サンタンジェロ城に行くにはサンタンジェロ橋を渡っていきますが、この橋の両脇には10体の天使像があり、それぞれが釘、槍、十字架など違うものを持っているのですがこれはキリストの受難に関する物なのだそうです。
サンタンジェロ橋
さて、このサンタンジェロ城は、
元々は、135年に、ローマ帝国の五賢帝の一人である、
ハドリアヌス帝の霊廟として建築が開始され、
139年、同じく五賢帝の一人である、
アントニウス・ピウスの治世に、完成しました。

サンタンジェロ城は、日本語に訳すと、
「聖天使城」という名前になるそうですが、

サンタンジェロ城という名前の由来は、
590年、当時のローマで、ペストが大流行した時に、
ローマ法王・グレゴリウス1世が、
城の上で、大天使ミカエルが、剣を鞘に収めている姿を見て、
ペストの終焉を確信した、というエピソードに、由来しているそうです。サンタンジェロ城の大天使ミカエル

その後、サンタンジェロ城は、歴代のローマ法王により、何か有った場合の避難場所として、要塞化されて行ったとのことでした。
牢獄として使われていたこともあり、落とし穴などの仕掛けもあったそうですが、現在は投石器などが展示してあります。
サンタンジェロ城の中は薄暗く、こんなところに落とし穴があったらと思うととても怖いと思いましたが、もちろん今は埋められていますのでご安心を。

サンタンジェロ城の頂上にはミカエルの銅像があり、サンタンジェロ城の上からはローマを一望できます。
とにかくここは景色が良いのです。
ここから景色をみていると、ローマという都市ではいかに昔のままの景観を守る努力をしているか、ということがよくわかります。
サンタンジェロ城からバチカンを望む西にはバチカンが見えます。

2007_0912_173442-画像 070南東の方はこれから向かうナボーナ広場の方向で、画面左の方に二つの塔が見えるのがヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、その先にフォロロマーノやコロッセオ、トレビの泉などの観光名所が多くあります。

私は、このサンタンジェロ城を見上げ、
夢中になって、写真を撮っていましたが、

ふと、人の気配を感じ、
振り返ってみると、観光客風の、二人組の白人の女性が、
私の側に、ピッタリとくっついていました。

ハッと気が付くと、
その二人組は、私が持っていた鞄のファスナーを、
もう半分ぐらい開けて、中に手を入れようとしていたのです。

私が、それに気が付き、ジロっと見ると、
その二人組の女性達は、両手を上げて、肩をすくめ、
「ノー、ノー」という仕草をして、
立ち去って行きましたが、

その二人は、どうやら、観光客を装った、
スリだったようです。

私は、すんでの所で、被害を免れましたが、
一歩間違えれば、何か盗まれていても、おかしくはありませんでした。
まさか、どう見ても観光客というような恰好をしてまで、
スリを働く人が居るなんて…と、
私は、ショックを受けましたが、

やはり、ローマという所は、
スリがとても多く、治安はあまり良くないんだなという事を、
身をもって、体感しました。

ローマで、観光をする時は、
写真を撮ったりする時も、常に、周囲に目を光らせて、
自分の荷物が盗まれたりしないように、
注意していなければならない、という事を、
教訓として、お伝えしていおきたいと思います。


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