エジプト、カイロ市内の交通事情の悪さについて
私が、エジプトの首都・カイロに、旅行に行った時の事です。
そこで、最も印象に残ったのは、やはり、ピラミッドを見た事だったのですが、
それと並んで、強く印象に残った事が有ります。
それは、カイロ市内の交通事情の悪さ、でした。
こういうと、車がない不便さを想像するかもしれませんが、ここでおはなしするのはちょっと違う話です。
エジプトに行った事がない方は、砂漠だらけで車が走れない、駱駝にのっている、などのイメージがある方も多いと思うのですが、、実際カイロ市内では多くの車が走っています。
では、どういう事かと言うと、まず、カイロ市内の道路には、殆んど、信号という物が有りません。
では、みんな、どうやって交通ルールを守っているのかといえば、
まず、カイロ市内の道路には、極端に言えば、
交通ルールが存在しないのです!
交通ルールのない道路の横断は命がけ
道路には、車が溢れ返り、
その車は皆、始終、クラクションを鳴らしまくっているのです。
とにかく、市内中の道路から、
一日中、クラクションの音が響き渡り、大変な騒音になっていました。
カイロ市内に着いてみて、私は、まずそれにビックリ仰天したのですが、
こんな危険な道を、一体どうやって渡ったら良いのかと、思いました。
私は、カイロの中心部にある、ラムセス・ヒルトンというホテルに泊まったのですが、
そこから、道路を挟んで、目と鼻の先の距離に、カイロ博物館が有りました。
普通なら、歩いて数分ぐらいの距離です。
しかし、あまりにも道路が危険すぎるので、
たったそれぐらいの距離であっても、歩いて道路を渡るのは、
到底、不可能でした。
普通に歩いて行ったら、車に轢き殺されてしまうので、
危なくて仕方がありません。
そこで、仕方なく、そんな短い距離であっても、
ホテルからタクシーを拾って、タクシーで博物館に行くしかありませんでした。
では、地元の人達は、どうやって道路を渡っているのかといえば、
車と車の間を、隙を見て、タイミングを見計らってから、
素早く渡るのです。
これは、生まれた時から、そういう習慣が有るからこそ、
出来る事であり、我々のような旅行者には、とても無理だと思いました。
このように、カイロの交通事情の悪さはとても印象に残っているのですが、私が日本に帰国した直後に、『アラブの春』の引き金となった、あのエジプト革命が起こったのには、とても驚きました。
(2011年2月の事です)
あれから数年が経ちましたが、今、カイロ市内の道路は、一体どうなっているのか、
今でもとても気になっています。
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