ダイアナ妃が最後を迎えたトンネルとゴッホが最後を迎えた麦畑を通ってパリへ
モンサン・ミッシェルから、パリへと戻る道中も、
色々と、印象に残る事は有りました。
ワインやお菓子などの、お土産物屋さんが有り、
観光客を楽しませてくれる、小ぢんまりした村に立ち寄り、
あの、ゴッホがピストル自殺をした、オーベル・シュル・オワーズという、
有名な麦畑の、すぐ近くを通りました、件の麦畑を見た時は、
「ここで、あのゴッホが自殺をしたのか…」
と、私も感慨深いものがありました。
以前、『炎の人 ゴッホ』という映画を見て、ゴッホは、大変、エキセントリックで、世の中に順応出来ない人だったのだなという感想を持ちましたが、
そのゴッホの終焉の地は、こんなに、のどかな麦畑のど真ん中だったのかと思うと、何とも不思議な感じがしました。
そして、バスがパリ市内へと戻って来た時、
この旅行中では初めて、エッフェル塔の姿を目にしました。
凱旋門と並んで、パリの象徴とも言うべき存在ですが、
やはり、エッフェル塔を見ると、テンションが上がってしまいます。
「今度は、個人的に、ゆっくりと見に来よう」
と、翌日以降の、自由行動に思いを馳せたのは、
言うまでもありません。
そして、この帰り道で、最も印象に残ったのが、
1997年に、あのダイアナ妃が、交通事故死を遂げたという有名なトンネルを通った事です。
ガイドさんが、
「ここは、ダイアナ妃が交通事故で亡くなった、あのトンネルです」
と、言っていましたが、
この場所で、ダイアナ妃が乗った車は、パパラッチに追い掛け回され、
柱に激突し、車は大破しました。
同乗していた、ドディ・アルファイド氏と共に、
ダイアナ妃は、亡くなってしまったわけですが、
その事故の記憶は、生々しく、今でも、多くの人の記憶に残っている事でしょう。
ちなみに、アルマ広場という場所の下を通っているトンネルなのですが、
本当に、何の変哲もない、ただのトンネルが、
まさに、歴史に残る、衝撃的な事故の現場になってしまったわけです。
無念にも、Leave me aloneという言葉を最後に亡くなってしまったダイアナ妃に思いを馳せつつ、
バスは、出発地点へと、無事に戻って来ました。
こうして、長かった、
モンサン・ミッシェルへの一日観光の旅は終わりましたが、
本当にお腹いっぱいというか、
大満足の旅となりました。
それは、先程から再三述べている通り、
モンサン・ミッシェルそのものの素晴らしさは勿論の事、
あの素晴らしいガイドさんのお蔭でも有るなあと、
私は思いました。
とにかく、博識で、話が面白いガイドさんのお蔭で、
モンサン・ミッシェルに居る時は勿論、
その行き帰りの道中でも、全く、飽きるという事はありませんでした。
やはり、プロのガイドさんというのは、
こうでなければいけないなあと、思ったものです。
まさに、ガイドさんのプロフェッショナルな技が、
今でも、懐かしく思い出されます。
また、パリに行った際には、是非とも、お会いしてみたいものです。
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