モンサンミッシェルの景観を回復する橋

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モンサン・ミッシェルの観光を終え、

名残惜しさを残しつつも、
一行は、パリへと向かう帰路へと着きました。

この時、ガイドさんが、またしても、
とても印象に残る話をしてくれました。

モンサン・ミッシェルといえば、海のど真ん中に有る島の岩山に建てられた修道院、として有名なのですが、
モンサンミッシェルのあるサン・マロ湾は潮が引くと10キロ以上も沖まで干潟ができ、かつては、修道士達が、引き潮の時に現れる道を渡ってモンサン・ミッシェルの有る島を目指して歩いていたそうです。
モンサンミッシェルのあるサン・マロ湾の干潟

しかし、干潮時と満潮時の潮位が大きく、潮が満ちてくるとあっという間に水が押し寄せてきてしまうため、島に辿り着く前に、満ち潮になってしまい溺れ死んでしまったという修道士も、沢山居たのだとか。
まさに、モンサン・ミッシェルへの礼拝は、当時の修道士達にとって、命がけの冒険だった、
そんな時代が長く続いたのです。

しかし、19世紀後半、
これは、あまりにも危険だという事で、
陸地から、モンサン・ミッシェルの有る島へと、
一つの橋(というより、埋め立てられて造られた道)が架けられ、手前の陸地と、モンサン・ミッシェルの有る島は、
地続きになり、皆が、安全に渡れるようになりました。

それは、大変画期的な事で、
それ以来、観光客も、飛躍的に増えて行きました。

ところが、ここで、一つの問題が生じました。

以前テレビで特集も組まれていたのでご存知の方も多いかもしれませんが、
この、地続きの道が出来た事により、
この100年ほどの間、
道の両側は、干潟のようになってしまい、
いつしか、完全に陸地化するようになってしまいました。

つまり、かつては、海のど真ん中に有ったという、
モンサン・ミッシェルの景観が、
著しく、損なわれるようになってしまったのです。

確かに、私が見た時も、
モンサン・ミッシェルの周りは、海というよりも、
完全に、ただの干潟のようになっていました。

このままではまずい、という事で、
フランス政府は、対策を講じ、

この道を、一度、取り壊して、
橋を架け直すという、大計画を進行させていると、
ガイドさんは話していました。

どういう事かと言いますと、

まず、地続きの道を壊して、島の周辺を、海水で満たすようにして、
その後に、柱を何本も建てて、
その上に、新たに橋を架ける、つまりは、
橋の下に、海水が通るような構造の橋を架けて、
帰りのバスから見たモンサンミッシェル
モンサン・ミッシェルの周りを、海水で満たしつつ、
人も渡れるようにする、

そうやって、かつての景観を取り戻すという、
大計画なのだそうです。

しかし、この計画は、
モンサン・ミッシェルの島の人達からは、
大反対を受けていると。

何故なら、彼らは、島には殆んど住んではおらず、
対岸から、あの島に「通勤」している人達ばかりなので、
そんな計画を実行されたら、商売あがったりだ、
というのが、彼らの言い分なのだとか。

そんな裏話も聞けたりしまして、
この話は、大変、印象に残りましたが、

その後、どうなったのかと言うと、
この大工事の計画は、実行に移され、
私がモンサン・ミッシェルを訪れた3年後の、
2014年7月に、この大工事は完成し、今までの堤防道路の撤去作業は、2015年夏ごろに完了する予定のようです。

流石は、観光資源に命をかける、
フランスという国らしい大英断であると、
私は、拍手を送りたい心境でした。

それにしても、島に「通勤」していたお店の人達の生活には影響は無かったのでしょうか?
気になるところではあります。


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